本の感想でも

塩野七生さんの「ローマ人の物語〈XI〉―終わりの始まり」を読み終わってちょっとしばらく時間が経ったので、自分の理解のためにも、本の内容を要約しつつ感想をまとめてみようかと。

本文要約

この本はローマ帝国中期の五賢帝時代の最後の皇帝、マルクス・アウレリウス帝の時代からのから始まる。そのための補足説明な意味合いでアントニウス・ピウス時代の記述が最初に始まるのだが、アントニウス・ピウスは与えられたタスクは難なくこなす、卒の無い、悪く言えば官僚的で、明確なビジョンのもとに何かを成すタイプの人物ではなかったらしい。ローマは先人たちによる国家繁栄の為のビジョンの設定、及び達成のためのたゆまぬ努力によって安定期に入っていたために表面上は全く問題は無かったものの、アウレリウス時代にそのツケがまわってきていると筆者は考察する。マルクス・アウレリウスが「哲人皇帝」と呼ばれていたことは良く知られていることだが、哲学だけで政治は進められない。彼は青年期を当時の指導層の子息が通常歩む軍団勤務を経験せず、先帝の下、ローマで過ごした。当時のローマは古代としては異様ともいえるほど情報収集システムが発達していたために首都を動くことなく統治することが可能であったが、これが後々仇となる、と筆者は言う。自らの実地体験に伴わない政策は机上の空論となる可能性があるからだ。アントニウス・ピウスの死後、マルクス・アウレリウスが実際に皇帝になってから、飢饉や洪水、パルティア問題、キリスト教などのさまざまな問題が発生しながらも、それらの問題解決に全力を傾けた。上手く解決できた問題もあったが、できないものもあった。たとえばゲルマニア戦役。彼は周知の通り軍団指揮には向いていなかったが、それでも優秀な幕僚をそろえて、ベストを尽くしたものの、一級の司令官に必要な「戦略眼」とでも言うべきものが無かったのだろうか、戦役はなかなか終了の糸口を見出せず、彼自身の死をもってようやく終える。彼の、というより帝政ローマにとってのもう一つの失敗というべきものは、後継者コモドゥスについてのことだ。いわゆる五賢帝時代が上手くいった理由の一つに、経験・実力を持っているものが、皇帝の養子となることで正統性を確保しつつ後継者となったことがある。だが、アウレリウスが嫡子を設けていたがためにこの慣習を引き継げず、結果、ローマの指導者としては及第点を与えることの出来ぬものが皇帝となり、そして暗殺され、ローマ屈指の実力者達が帝位を巡って争う、ローマ帝政移行後二度目の内乱期に突入し、軍人皇帝時代の布石となる・・・

感想

実に小さなエラーが積み重なってやがてこのまま雪だるま方式に崩壊していくのだろうかと思うと一抹の悲しみを覚えないわけにはいきません。専門家ならまだしも、素人の自分としては、この人の作品はとても面白いですね。前にも言っただろ(笑)的な繰り返し的な言い回しが最初の頃に比べて目立つようになってきたけど、それを抜きにしても十分楽しめる作品ですね。「ローマ人の物語」シリーズの評価ってどうなっているのだろうかなと2chの世界史を覗いてみたら、ポエニ戦役や、カエサルの巻に対する批判と、細かな事実誤認などの指摘などがありましたが、概ね好評価みたいです。これを読んでローマ史に興味がわいたので、今度他の本を買ってこようかな。