年齢による心境の変化

*コミュニケーション・マニア

人ってコミュニケーションが大好きなんだ、っていうこと。怖いくらいに。お喋りの魔力というのがあって、とりあえずそれで手短に済ませようとする。いや、お喋りに限らずどんなことでもかまわないけど、人のやることでコミュニケーションという大枠から外れる行為ってほとんどありえないんじゃないかって思うんだ。例えばオナニーとかでも、あれは何かとコミュニケーションしてるんじゃないかと思う。自分が生み出した他者か、それとも他者から見出された他者か。自分で何かを生み出すとき、他人との会話の手ごたえをどうしても求めてしまう。まさに麻薬だ。色んな理屈付けを出来るのかもしれない。けれど、そんな定義付けには全くもって意味など無い。全ては、寂しさから派生する。とても辛いけど、時に傷つけあうけど、それでも他者が愛しい。これは何だろう。呪縛だろうか。

 

10年以上前に書いたものだけれど、当時とずいぶん心境が変わったなあ、という点が認識できて面白いなと思った。コミュニケーションに対する根本的な姿勢が全然違ってて、今では必要以上のコミュニケーションに対する必要性をあまり感じなくなってきている感覚がある。生物である以上、恒常的な感覚というものは無いのだなという事を実感する。この後10年、20年経ったら、どのように感覚が変わっているのか、自分でも楽しみにしている。