ずいぶんと

書かずにここまで来たな、という気がする。昔はあんなにも書かずにいられない、と思っていたのだけれど、気が付いたら書かずにここまで来てしまった。もう35歳になろうとしている。

自己の実存とか、悩みとかに拘泥していた記憶がある。おそらくあの頃の自分とは何もかも違っている。生物として、あの頃の自分と連続しているはずなのだけれども、同一のモノとして見れない自分がいる。在りし日の自分を思い起こす度に、どこか遠い他人を見つめている自分がいる。

これを強い、といっていいのか分からない。できる事は増えた。形而上の思考技術にも磨きがかかった。論理を駆使するのに苦ではなくなった。ただ、人間として摩耗している感覚をいつも覚えている。自分がまるで一種の精密機械になったような感覚を覚える。遺伝子の乗り物にすぎないのではという疑念が頭から離れないでいる。

 

それでも時間は過ぎていく。在りし日の自分はますます遠ざかっていく。昔、30前に死んでいるんだろうなと漠然と考えてた自分がいた。もう、その死から5年が過ぎている。死後を生きている自分がいる。時代の先を見たいという自分と、擦り減って生き延びていく自分を上手い事摺り合わせて、今後を生きていくんだろうな、という予感がある。あの夏になりたかった自分に近づいているはずなのに、あの夏の景色が眩しく思えてくるのは何故だろうか。

それでも生きる。それが生きていくって事なんだって、ようやく気付いた気がする。そんな錯覚を繰り返しながら、僕は今日も書き続ける。