原爆のお話でも

いつものようにニュースを漁っていたらこんなものが。
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20050802k0000m070125000c.html

ちょうど私の読んでいた本と話題が一緒だったので、今回はこれについて頭の中の物を整理してみようと思う。ちなみに読んでいた本は

アメリカはなぜ日本に原爆を投下したのか

アメリカはなぜ日本に原爆を投下したのか

本の構成は、原爆を落とすまでに至った背景を複数の章に分け、それぞれがドキュメンタリー風に書かれている。事は日本を降伏させるために必要だったというような単純な話ではなかったようだ。まず、アメリカの損耗を抑えるため、降伏させるためとあるが、当時の米政権内でも意見が違うものもいたようで、日本は軍事的には壊滅状態に陥っており、降伏のシグナルも出ている。国体の維持の条件付で降伏させるべきではないかといったという考えを持つものいたようだ。確かに単純に降伏が目的であったならこの提案は合理的で会ったはずだ。ならばなぜ選ばなかったのか。当時の米国の目は、もはや日本ではなく、ソビエトに向いていたようだ。今後の核戦略として核情報の文明を破壊しかねない核戦争を抑える手段として核の国際管理を目指す「共有」戦略かこのまま核開発のリードを維持し軍事的優位を築き上げる「独占」の二つの選択肢があったらしい。だが、ローズベルトの後任という重圧を抱えたトルーマンの内心の不安の裏返しとも言えるような強硬な外交姿勢もあって、ポツダムソビエトと決裂、ソビエトとの「共有」戦略は捨て、米国は核の「独占」戦略を選択した。その結果としての「デモンストレーション」的な意味合いもあったのだろう。ここで、なぜドイツではなく日本だったかというと、単純に原爆が完成する前にドイツが降伏してしまったというのもあるが、トルーマンだけではなく米国人のドイツ人と日本人を見る目が全く違う、つまり日本人を血に飢えたジャップというような人種差別的な意味合いで見ていたということが背景としてある。このことは原爆だけでなく各地の空襲の背景でもあるんだけれど。

だいたいこんなかんじだったみたい。細かくあげるときりが無いのでここらへんで。にしても歴史は奥が深い。