モテ、非モテ論争を俯瞰する。

ここらへんの論争は正直良く掴めなかったのだけれども、いくつかの示唆的なエントリーを読むうちに少しづつだが輪郭が見えてきたような気がする。

本論

とりあえずここでは同性愛は対象外としておいて、異性との恋愛関係を容易に結べる人をモテ、逆に異性と恋愛関係を結ぶことが非常に困難、もしくは不可能な人を非モテと定義づけるわけだ。
おそらく争点としては、このモテ、非モテを区分するものが何であるかについてなんだろうと思う。この点についてはどうやら二つの立場があるようで、非モテに対して社会学的アプローチを取る立場*1と、心理学的アプローチを取る立場*2に分かれているようである。どうも異性と恋愛関係を結ぶ際に、「異性と円滑なコミュニケーションを結ぶための何か」があると恋愛関係を結ぶことが容易であるらしく、前者の立場では「コミュニケーション能力」、後者の立場では「コミュニケーションスキル」と命名しているようだ。前者の立場においては「コミュニケーション能力」は誰もが必ずしも手に入れられる物ではない。後者においては訓練次第で誰もが習得できるものらしい。ここで見解が分かれるみたいなのだけれど、お互いの論の根拠が良く分からない。両者とも自分自身の経験とかを根拠とかを根拠として論じているのだろうかと疑問を抱く。前者の立場としては社会には一定の割合でこういった非モテの人がいるのだから、そういった事実を受け入れた上で、現実的な解決策を模索している*3。後者の立場においては、彼らは訓練をしさえすれば手に入れられるスキルを自らの怠惰のせいで習得できていないだけだ、努力しろと切って捨てる。どちらが論理的妥当性を獲得できるかは、「異性と円滑なコミュニケーションを結ぶための何か」を獲得するためにあらゆる手段を講じたにも拘らず、手に入れることが出来なかった人間が一人でもいるか、いないかを示せば解決するんじゃないかな、と思う。

その他色々

後、そもそもモテ、非モテってコミュニケーションだけの問題でもないだろと言う意見もあるみたいでそこら辺はまだよくわかんない。昔は見合いって便利なシステムがあったんだけどねえ。変に自由恋愛至上主義みたいなのが蔓延したが故にこういった現象が起きているのかな、と思う。

*1:2chの喪板とか、本田透さんあたり

*2:上野千鶴子さんとか、さとう珠緒さんとか

*3:電波男とか