或る一日の出来事

飲み会があった。いわゆる忘年会という奴。職場の飲み会というのが面白かった試しがないけど、拒否権などというものは当然ながらないので、内心渋々ながら参加する。今年もまた色々やらされるのだろうなと、鬱々とした気持ちで会場に向かう。

笑いものにされ、嘲笑する人達、笑ってごまかす僕。彼らに多分、悪意はない。嘲笑には慣れている。面罵される日々に適応する過程で、そうした嘲りや嗤いは一種の風景のように感じるようになった。今日もそうして自分も一緒に笑う度に、自分のなかの何かが失われていくような、そんな感覚。酒の酔いが廻ってて良かった。たぶん酔ってたら耐えられなかっただろう。酒は人を麻痺させる。僕の中にある感覚が麻痺していく。これは嵐だ。君はひたすらこの嵐を耐えながらやりすごすんだ。君に課せられた任務は、何でも無い顔をして、道化を演じる事。分かったね?そう自分に言い聞かせながら、馬鹿になる。酒を呑む。ひたすら酒を呑む。さあ、待ちに待ったカーニバルだ。道化よ、踊れ。

終電が近くなる。僕はそろそろ終電が近いので、と笑顔を忘れず、元気よく挨拶して、その場を後にする。やっと終わった、とすこし開放感。外に出ると火照った顔が冷えて気持ちいい。地下鉄に乗って、乗り継いで終電に乗る。電車の中、ぼーっとした頭で本を読む。サリンジャーキャッチャー・イン・ザ・ライを再読。酔った状態でおかしくなって笑ってしまうくらい、ホールデン少年はまっすぐだった。僕もこんなに素直だったら、少しは生きやすいのかなとぼーっとしながら考える。

そうこうしているうちに電車が終点に到着する。そこそこの人数が乗っていたはずなのだけど、降りるとき、人は疎らだった。駐輪所まで向かい、自転車に乗ろうとしたけど、自分でも危ない足取りだと気づいたので、自転車を押しながら歩いて帰る。歩く度に、渇きが僕を襲う。iPodACIDMANの曲を適当にかけながら、思いっきり歌う。田舎だから、人目を気にせず思い切り歌える。車も滅多に通らない。喉が渇いた状態で歌うと、喉を痛める危険があるけど、そんなの気にせずに歌う。そうしてるうちに自宅にたどり着く。帰宅して、すぐに水を飲む。渇きを潤す。

すぐには寝なかった。酔った状態で寝たくないのだ。その日の内に毒気は抜いてしまいたい。だから酔いが抜けたな、と思うまで、渇きを覚える度に水を飲み、アルコールを排出する。酩酊した状態じゃ何もしても頭に入らないとは分かっていても、何かをせずにはいられない。できるだけ何かに没頭していないと、なんか嫌なことを思い出してしまいそうな。夜中なのでできるだけ周囲に響かない程度の音量でiTunesをかける。不意に流れるアジカンのアンダースタンドを聴いてると、不意に涙が流れた。