語りえぬもの

語りえぬものには沈黙しなければならない、そうウィトゲンシュタインは言った。僕はその意味の発するところを必ずしも正確に理解しているわけじゃないけれど、曖昧な、極めて日本的な理解ならしていると言ってもいいのかもしれない。
語りえない、描写のし難いものというのは、今でも数え切れない僕の足りない脳みその中に詰まっているのだけれども、それを上手い事表現したいと思ってるし、その為には無駄かもしれないけど、書き続けるしかないのかな、と思う。書くのは多少はマシになったんじゃないかと思う。少なくとも、10代の頃の自分には書けなかった、上手く言語化できなかったものも少しずつだけど、書けるようになっている。錯覚かもしれないけど、それでも書く技術、技能は磨いていきたいし、それでもっと色々自分の事を書けるんじゃないかと思う。
究極的に言えば、自分のために書いている。こういった類の書き物は絡まれにくいし、はてブも付きにくいことは経験的に分かっているから、一番の想定読者というと、やはり自分、ということになる。少なくとも自分が読み返して、こういう事を伝えたかったんだな、という事が分かるくらいには文章を書くのに熟達したいって考えてる。
それでも、多分書けないことってたぶんあるんじゃないかって思う。僕は書くことにかなりの信頼を置いているけれど、それでも決して万能なわけじゃない。恐らく、正確には伝わらない類のものって出てくると思う。
そこで諦めるよりは、正確に書くのは難しいことを確かめつつも、書くことによる、伝わらないもどかしさのようなものだけでも、分かることが出来たらなあ。足掻きかもしれないけど、滑稽に見えるかもしれないけど、それでも僕は書くことを諦めたくないんだ。