白昼夢

夢を見なくなった。いや、見ているのかもしれない。どうやら窓から光が僕を起こしにやって来るのと同時に、存在の不確定な僕の夢は、光と共に消えてしまっているようだ。そういうわけだから僕は寝ることを無意識の冒険の時間としてというよりは、むしろ純粋な休息の時間として捉えていることの方が多い。

どこまでものっぺりとしていて何だかあやふやで現実感に欠けた現実。天から降ってくるように課せられる、やるべき事の数々。ライン工のように無機質にそれをこなす事に手一杯で、気がつけばカレンダーをめくる日がやって来ていた。そんな日々。そんな日常はやがて段々と加速していき、僕から感情を奪い、真綿をしめるような優しさで僕を歯車へと仕立て上げていく。それに抗う事は愚行以外での何者でもないし、僕にできることはただ、上手くやろうと、即ち良い歯車であろうとする位だ。

たまの休息に消費する娯楽は、ジャンクフードのような味わいで、あの頃の尖っていた感性がいつの間にか抜け落ちて行くのを実感しながらも、それに対して僕は何を成すべきか何も思いつかない。

幸せを放したくなければ、今を粗暴には扱わないことだ。幼き日の子供が、落としたら砕け散ってしまうような、儚さと、煌めきをもった大事な何かを手にするように、丁寧に、丹念に扱うべきだ。その一方でどんなに今、甘美な果実のような味わいを堪能していても、隣の芝は青く、林檎は美味しそうにそうに見える。
瞳が移す幻想だと感じながらも、その泣けるほどに美しい思春期の憧憬は、僕を時々どうしようも無く蠱惑した。

夢の日々にサヨナラを告げ、すこし砂を噛み締めたような味のする現実を受け入れる程に、僕はリアリストではなかったようだ。今はただ、誰にも告げられぬ、甘美な秘密の楽園を少しの間、そう、きちんと戻ってこられる程度の狡猾とも言っていい臆病で、冷徹な打算に基づくノスタルジックな懐古の時間を設ける事としよう。この瞳に映るものが真実だとは限らないのと同じくらいには、僕の過去は時に脱色されたキラキラとした淡い思いに満ちている。

昔に生き、今を忘れる人に対して、今は厳しい態度を示すのは言わずもがなだが、せめて束の間の虚空のなかでの追憶ぐらい、見逃してくれてもいいよね、なんて甘えた姿勢を示す僕は、やはり甘ちゃんと言われても受け入れるほか無いのかもしれない。

夢を見なくなった僕は、白昼夢を見ているのかもしれない。それは未来へ広がる無限大の希望というよりは、過去が映し出す哀愁に満ちた蜃気楼のようなのだろうか。